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(無題)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月29日(土)06時38分42秒
編集済
  ・ほつほつと流刑人の裔行きかふハバロフスクのしばれる街並み
・支払ひはドルか円がよしとホテルの支配人が愛想笑ひする
・外套に身を包み立つ女らの影ここかしこの街頭に見る

・黄昏は物憂き時間と顔を上げれば火の玉の落暉沈みゆく
・零下四十度の厳寒かくあるものと恐るべき体験をしたり
・中古の日本車あまた目立つ街ハバロフスクの車道横切る

・憧れのロシア文学の感傷を吹き飛ばされし凄まじき寒さ
・「人の住むところでないぜ」ハラショとシベリア男のウオッツカの臭ひ
・大男ら立ち飲み酒場で大声に雪焼け顔を並べ飲んでる

・化け物は出ないがクマやキツネならあまた出てきそうな荒涼雪原
・モスクワに帰りたいよと嘆きたる石油発掘の若き技師と飲む
・酒場では中国人も北朝鮮人もウオッカ呷り陽気に語る

・へい君はヤポンスキーかと話しかけ一杯飲めよと肩を叩かれる
・日本の景気はどうだと油くさい手を差しのべて握手求める

 
 

二十九年度北海道短歌年鑑

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月28日(金)17時54分0秒
編集済
  ・全国的な傾向は北海道でも例外ではない。
老齢者が倍増しているのに、短歌人口は半減している。
それだけ趣味が多様化したのか、それとも国語の学力が落ちたのか・・。
はたまた、短歌の魅力が現代には通じないのか。
観方はさまざまであるが、北海道の短歌人口が半減している事実は否定しようがない。

・二十九年度の北海道短歌年鑑が発刊された。
これは、北海道の短歌結社の主な主宰者や有力歌人などで構成している団体で、
年一回年鑑を発刊して、歌人の横の連携、親睦を図ろうというもの。
新人の育成のため歌人会賞なども設けている。

・私も十五年ほど参加してなかったが、改めて今回から復帰し自選の作品十首も出したところである。
 

(無題)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月27日(木)17時37分31秒
編集済
  ・親指は薬指より賢くて時に饒舌におしゃべりをする
・やうやくにカールビンソンの雄姿見ゆ太つちよ坊や如何に眺むる
・波高き日本海に戦雲わく北朝鮮の暴走憂へど

・神国と言ひし倭の山原に桜前線北上したり
・ここは冬あくまで冬の過疎の街シャッター閉ざせる駅前通り
・火照りたる小指の熱を冷まさむと腕高々と風に向けたり

・ライターの火影てのひらに包みこみ煙草一本吸はむとしたり
・親指と人差し指の対ひ居る不思議を君は思はざらめや
・吾が指の記憶をたどり行きつくは桜並木の郵便ポスト

・レバノン杉失せたる跡の岩窟に二千年眠りし死海文書は
・かの人の聖なる跡の謎めくをつつ`れる古書の文字を尋ぬる
・ユーフラテス河に栄へしシュメールの民は四千年を記せり

・シナトラのバラード奏でるカフェあり砂の味せるコーヒー飲みき
・紅の日輪砂漠に没り行くかコーランの声冴え冴えと聴く
・真実はひとつなるにしこの地球に神々争ふ季節はめぐる

・ライターの火は手のうちにほの消えて一丁目目より二丁目を行く
・ワイパーの分け行く先に雪煙るネフリュードフの恋も凍れる
・車さへあれば渡らむ対こふ岸零下の水路のあの世の岸へ

・かうかうと夜目に輝く石油タンク群彼岸と此岸の距離は切ない
・高圧線走る原野を一条の矢羽根となりてバイク走り行く
・蛍火か魂の光か美々川に煌めくものの正体知らず

・幻か現か知らず桜木の夜目鮮やかに映ゆる化のもの
・縄文はアイヌかシャモか人間の種の営みは万年を過ぐ



 

(無題)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月19日(水)05時32分41秒
編集済
  ・壮大なオーケストラの音律のやうに広ごる海原を見つ
・坂下へ続く敷石濡らすやう幼きピアノの音ふりそそぐ
・外人のあまた行き交ふ坂の街小路を曲がれば鳩群れ飛び立つ

・時計台脇の喫茶に通ひ馴れ四十年をいつしか経ちぬ
・変わらぬものあまたに触れてなごむとき時間は止まり風はそよげり
・大太鼓に始まるブラームスの交響曲旧きレコードの音に安らぎぬ

・米空母ジェラルド・フォード就航せり十万トンの巨艦なるべし
・緊迫せる北朝鮮有事に備へむと核シェルターの売れ行きやよし
・スメタナの「わが祖国」を荘厳に指揮するカラヤンのベルフィルを聴く

・徴兵を逃れんと漱石青年は岩内の地に籍を移したるよ
・漱石は厭戦家かまた反戦家か徴兵かくも嫌ひし男
・奪はれし祖国想ひて哀しむか樺太生まれも国後生まれも

・わが母の教へたまへるユーモレスク口つさみにつ海霞む朝
・北朝鮮有事訴ふマスコミに嫌気がさしてお笑ひを見き
・扉を開けたき者のみ鍵を持つものぞ諺にありと盗人のいふ
 

2017年苫小牧美術協会会員・会友春季展 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月16日(日)01時22分9秒
編集済
  ・4月の6日から11日まで苫小牧美術博物館で開かれているのを久しぶりに鑑賞した。会員55人、会友6人。老齢化は仕方ないが、刺激的で新鮮な作品もあって広がりがある展覧であった。以下に感想を。

*油絵

・伊藤幸子「天壌無窮」150号、菊地章子「メモリー」130号の大作は、圧倒的な存在感を見せつけて会場を圧倒していた。大げさな題名に見劣りしない力作であった。
・中川克子「断層」F100号、やまだ乃裡子「やさしい不在」F100号は人間存在の不条理をキャンバスに乗せて思索的だ。
・吉田隆一「クリエーターの非日常」F100号の油絵は、電気機器を解体して、その部品の配線をキャンバスに張り付け、二次元に迷路のごときツールを形つくるモダンな抽象造形を演出し、楽しませてくれた。

・風景画では、星野恒隆「雪が解けたら・・」F60号、内潟光尚「夏の砂丘」F50号が風景画の清らかさを演出してくれた。

・今回特に注目したのは日本画であった。山本孝子「ロッカールーム」F100号、馬場静子「晩秋」F100号の力作には目を見張ったが、蓮池廣子「つぶやき」F30号、木尾美恵子「散歩道」F40号、外崎チヨ「残照」F30号などの小品も丁寧に仕上げた技術の確かさが目を奪っていた。

・油絵の小品でも、柿崎勝彦「小豆の季節」の童話的可憐さ、居嶋恵美子「朱い月」の淡淡とした色だし、山田勝代「玉子」の色重ね、高橋マサ子「女のかたち」の洗練された色遣い、加藤和東「作品13」の半具象の面白さなど目を楽しませてくれた。

・水彩では、室谷孝枝「送木水路の王子製紙」の丁寧な描写、平沼充安「母の記憶」の愛情込めた描写などが目立った。

・彫刻では、佐藤公毅「鎧」の技術の確かさ、白木里佳「古代の息吹」の静けさ、藤沢紀世安「幼きころ」の立体の空間性、田村純也「存」の存在感などが会場を引き締めていた。

・工芸では、佐藤康幸「蒼い影」の不思議な空間支配、陶芸の香西毅「大皿」の色だし、佐々木尚子「舞」の光沢などが会場に清々しい陰影を投じていた。
 

新道展苫小牧支部企画展③ 札幌のベテランの賛助出品は観る者を魅了する

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)12時08分14秒
編集済
  ・この企画展の一つの特徴は、札幌の会員が協力出品していることである。いずれも一方の画境を深めたベテランであるが、私が知る二十五年前のベテランたちは皆故人になってしまっていて、この場で言うベテランは第二世代のベテラン。ベテランと言っても若い世代もいるわけで、独自の画境を開拓している人たちという意味合いである。

・今荘義男「古里」30号は、一見素人目にはリアルな風景画と映るが、観る者が観れば、思索的な描写と色使いが見てとれるはずだ。

・香取正人「踏切」20号は、田舎のどこにでもある踏切の描写風景。絵の具の統一感や構図の取り方が、絵画的秩序にかなっていてベテランの深みある色彩感性である。

・川西勝「眠る岬」20号は、日本の岬らしい情感漂う風景で都会人には懐かしい思いが切々と迫る作品。一見古典的な風景画に見えるが、凝視していると、キャンバスから流れ出る音楽を感じ取れるのである。

・合田典史「岩内風景」30号は、岩内地方の風景を切り取った作品。地域の情感が伝わる作品になっており、心を揺さぶられる。

・後藤和司「回想ー記憶の断片」20号は、作者の大切な記憶の回想らしく愛情こもる筆運びになっていて共感された。

・丸藤真知子「風の向こう」20号は、フォーブ筆法の作品。筆遣いの躍動が瑞々しい。豊かな色彩の波が新しい世界を暗示させて楽しい。

・亀井由利「街」50号は、鮮烈なレッドを基調に大らかに色彩を広げていて観る者を圧倒する。100号の大作が並ぶ会場に小品が存在感を示すのは、作者の絵画的力というものだろう。

・高梨美幸「片翼の天使」40号は、観る者に思索を対話してくる作品。見つめていると作者の囁きが聞き取れるごとくであった。

・中澤里美「空」20号は、メルヘン的調和と安心を呼び覚ます作品。しかし、古典的メルヘンではなく、新しい絵画的メルヘンとも言うべき作品として完成度は高い。

・松本道博「早春の湿原」50号は、豊かな北海道の湿原の風景描写。詩情ある色使いが音符のように置かれていて瑞々しい。
 

新道展苫小牧支部展② 今田博勝の北方憧憬の祈り 新しい感性と色彩の響きあいとドラマチックな描写の意図 田村純也の立体が醸す緊張感

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 4日(火)16時54分41秒
編集済
  ・今田博「羽化」「たずねびと」は共に100号。この人は一貫して土俗的、郷土的、歴史的な人間の素朴な営みを活写して止まない郷土に根差した画家であり続けてきた。それは、北方の風土に対する素朴な憧憬とでも言えるもので、言わば信仰心のような敬虔な祈りにも似た想いが伝わる画家だ。寒色の憂鬱な色合いは、北海道の過酷な自然を象徴する基調色だ。派手で華やかな色合いが蔓延する画壇で、一貫して郷土の北方性を追求する画家は貴重な存在だ。

・山崎禮子「再生」1、2の100号二点は、大蛇のうねりを紋様めいた描写で訴える。色彩と大蛇の持つ造形的な先入観を利用して、絵画的な象徴性に高めようと意図した感性が目に止まった。

・土田裕子「旅立ちの日」、「時は流れている」の100号二点は、暖色の詩的な色重ね描いた女性の人物画だが、温かい愛情に満ちた描写が品のあるまとめ方で女性像を際立たせている。

・上水啓子「紋様」1、2100号は、青と黄のコントラストで、色彩同士の響きあいを音楽的に訴えかけて楽しい。今後、色彩のバリエーションに展開していくかのごとき暗示が込められている。

・堅田智子「emotions」「メッセージ」100号2点は、文学的な呟きを内包しているかに見える色彩感が印象に残る。

・木内弘子「アラベスク」「たまゆら」の100号2点は、精神的なアラベスク模様を織り込んだごとき思い込みを絵画にまとめようとしているのか。物象の描写と色彩のドラマが透けて見えるがごとくである。

・藤田悦子「チューリップ」「マルメロ」40号の二点は、嫋やかな現代詩を髣髴とさせるすがすがしさを伝えてくれた。初めて観る作家だが、素朴な感覚が愛しい作品。

・内海一弘「夏の家」「物質のすべては光」の100号二点は、リアルな建物などを対象にしながら、画家の感性でデフォルメしていく手順が見えて納得させられる。

・風間美和子「self」「時空間」50、20号二点。柵と壁のタイルをバックに小物を丁寧に描写、寒色、暖色の色彩を生かした手堅い描写が光るなかなか巧みな作品で印象に残る。

・田村純也の立体「インスタレーション」「鳥守・空鳴・域・有体」の二点は、会場全体を引き締める波動のような役割を果たしていて、新鮮な存在感であった。この作品があって、会場の雰囲気の空気が見事な調和を奏でていることに安らぎと緊張感を覚えたものである。立体の醸す力であろう。

 

新道展苫小牧支部企画展① 吉田隆一、居嶋恵美子らベテランの進境、新人の羽搏きに驚く

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 4日(火)14時35分52秒
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  ・今では新道展の大御所となった吉田隆一画伯とは、二十五年前まで女性を伴い、三日に上げず、飲み、歌い、踊った日々であった。このところは、メールや電話で話し合うだけで、久しぶりで会場の苫小牧美術博物館の会場で会ったものである。そこにはかつて画廊を経営していた千葉恒雄氏もいて「何ですか、石塚さん、生きていたのですか」なんて会話で始まる世間話、昔話であった。


・新道展が発足したのは、昭和30年代後半であった。新時代の新しい北海道の抽象画を目指そうと発足し、その草分けと言われた菊池又男を中心に戦前からの官展の流れを汲む道展、戦後に新しい美術の開花を標榜した全道展に対し、抽象画の開花を目標にした新道展であった。苫小牧支部では金子正、長澤晃、吉田隆一の三羽烏を中心に支部を盛り上げて行ったものである。後に、女流の金内敬子、居嶋恵美子が加わり、支部に華やかな色どりを添えて底辺拡大していくのである。以下、今展を総覧してみたい。

・支部長の吉田隆一は「変遷と系譜」「アストル・ピアソラを聞きながら」という洒落た題名の100号二点。この画家とは三十代から親しくお付き合いしてきた画家であるが、自由奔放、歌が巧く酒も強い、それでいながら中学校の美術教諭という異色の存在。かつてはドライブラッシング的技法でリアルなイメージ派の描写で構成する画風であったが、退職後はこのところ、画面に小物を張り付けるコンポジションの新しい方法への挑戦が持ち味になって新境地開拓の精神旺盛な画風に一大変身して時が経つ。

・居嶋恵美子は「紅を抱く」100号二点。当初のピアノの存在から音感を空間に解き放つ主題を薄塗りのレッドマチエールで繊細に仕上げていた画風から次第に変貌して、最近作は渋いブラッシング的マチェールに移行、キャンバス空間を大きく明確に展開し色彩と空間のドラマ性をさらに盛り上げているのは注目に値する。これも中央展の春陽展出品で刺激を受け、新しい絵画的解釈に行き着いた結果であろうか。描写というよりも謳いあげるユニークな画風を見事に確立している。

・島広子「命の繋がり」「祈り」100号2点は、手指をクローズアップしてリアルに表現している大胆な構図に驚いた。この大胆な構図が、この作品のすべてなのだが、命の繋がりを象徴する手のオーバラップが人間の長大な歴史を物語るものとして、哲学的意味合いまで止揚させた大胆な発想が評価されよう。

・佐々木恵子「微睡む」「エトセトラ」の80号二点は、童話的な温かさをほのかに描写しているところが人間性としての絵画になっている。

・川上眞須美「春の森」1、2八十号二点は、春先の流れを豊かに歌い上げて描き清々しい。ここから新しい絵画的思想を発酵させたい。

・長尾美紀「想」「蒼茫」100号二点は、青を基調にした大胆な展開と人物描写。エネルギッシュな寒色の基調色が持ち味だが、飛躍のために暖色の基調色で同じモチーフに挑戦する試みも一つの転機になりそうだ。基調色の転移に今後注目したい。

・沢向美穂子「一人の時間」「やみいち」80号二点は、素朴な描写の中に色彩の鎮静が観られて心に残る。日常との絵画的対話の中で、方向をつかみ取っていきそうな作家である。

・山北智恵子「エラニカ」「風をよむ」100号二点は、人間と自然のハーモニーに想いをいたすような気になる作品である。
 

苫小牧ゆかりの作家・内山安雄の初版本1?冊を苫小牧市立図書館に寄贈 内山安雄コーナ新設の運動を

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月22日(水)11時53分0秒
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  ・厚真町出身で苫小牧高等専門学校出身の作家・内山安雄の作品が、苫小牧市図書館に揃っていないので、私手持ちの作品を図書館に寄贈することにした。以下は寄贈作品。地元ゆかりの作家の作品がないのは、純文学作品でないからということらしいが、資料収集の意味合いをどう考えているのか、図書館の姿勢が疑われる。今後、内山安雄コーナ新設を運動したい。

・「ダッシュ」角川書店初版・平成十二年刊
・「トウキョウバグ」毎日新聞社初版・1999年
・「アジアウラ楽園」kkベストセラーズ初版・1998年
・「マニラ・パラダイス」集英社初版・1995年
・「天安門の少女」新芸術社初版・平成二年
・「樹海旅団」新潮社初版・新潮社・1995年
・「上海トラップ」立風書房初版・1996年
・「グローイング・ジュニア」講談社初版・2007年
・「大和魂マニアーナ」初版・光文社・2008年
・「ミミ」初版・毎日新聞社2002年
・「フイリピン・フール」初版ソニーマガジンズ・1996年
・「さらばマフィアとの日々」初版ソニーマガジンズ・1995年
・「霧の中の頼子」初版角川春樹事務所・2003年
・「アジアン・ラブ」初版広済堂・平成10年
 

文芸評論家の岩谷征捷が「札幌文学」五十八号の小説・石塚邦男作「海辺の墓地」評

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 3月 9日(木)06時02分12秒
編集済
  ・長野県在住の文芸評論家・岩谷征捷氏が札幌文学85号の拙作小説「海辺の墓地」の感想評を送ってくれましたので以下に紹介します。

・石塚邦男さんは極めて方法的に意図した小説を書くひとだと記憶してます。今号は有名なヴァレリーの詩句からの「海辺の墓地」。やはり冒頭、聴覚から刺激され、一枚の絵が触覚される。私の中で感覚が洗われるのは、酔いのせいだけではないでしょう。海辺で出会った女は誰か?ということは、自分とは誰か?ということでもあるのです。私たちはどこから来てどこへ行くのか?失われた時を求めて、純文学的な科白、純文学的空間、というとどきりとさせられますが、石塚さんはもちろん揶揄的に使っているのです。そうすると、どうやらこれは、小説を書くということについての小説、メタ・フイクションなのかもしれません。

・話を進めながら、作者自身がひと息入れて(自注を入れて)「話は怪奇なものに変わっていた」などと、自らを解放させています。そしてまた「推理小説じみて」とも語るのです。後半に入って、「私は、両手を翳して眺めた」辺りから物語る先が予見できるようです。そうすると「海辺の墓地」という一見抒情的な(と感じるのは私だけかもしれませんが)題名もパロデイと化すのです。洋の東西が交錯し、その結末の「南無阿弥陀仏」との齟齬が、逆に面白いのでした。西を逃れて、タヒチにやってきたゴーギャンの孤独と幸福に想いをやっている自分に気がつきました。

・酒がちょうど無くなっていました。カウンターの向こうの親爺に、銚子を振ってみせました。もう小説を書くことはないだろうな、ときどきは呟くようにパソコンの画面に文字を打ち付けるだろうが、それを誰かに読んで貰おうと印字することがあるだろうか、作品以前には、自分が何者であるかを知らない、それどころか、何者でもない、....とあれこれ考えます。酒と新しく焼いてもらった「はたはた」の干物が旨い。読むことはボケるまで続けるだろうな、読者が作品を作る、そうなのです。読者こそが作品の真の作者であり、かかれた「もの」の意識であり、生きた実体なのだ。

・したがって、作家にはもはや、この読者のために書き、読者と一体化するという目的しかない。と、とつぜん元気になりましたが、しかし、これは希望のない企てなのかもしれません。読者が期待しているのは、まさに経験したことのない何か、異なる現実、読者を変質させるような作品なのですから。新しい同人の作品を読むことをたのしみにしています。

 

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