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時期を得た苫小牧民報の夕刊時評「寺と少子化」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月20日(月)20時33分29秒
編集済
  ・なかなかいい時評であった。(下)の時評氏は、最近筆が冴えてきた。以下に紹介。

・「寺と少子化」

 お坊さんも大変な時代である。先日、小さな町にある菩提寺の住職と話をしていて、地方の寺院が直面している厳しい現実を知った。聞けば、法要だ、命日だと、年がら年中、車のハンドルを握り、何時間もかけて道内各地の檀家巡りをしているという。町から都市へ出て行った檀家との縁を守ろうという必死の努力だ。
 少子化、核家族化、過疎化ー。そうした問題は寺院も無関係ではなく、檀家の減少や分散化を招き、寺の経営を圧迫している。経済誌記者で僧侶でもある鵜飼秀徳氏の著書「寺院消滅」によれば、寺院や神社、教会を含めた宗教法人は全国に17万7000あり、2040年までにその4割近くが消滅する可能性があるという。本では地域の人口減少で生活できなくなった僧侶や、荒れはてた境内墓地の惨状も克明に伝えている。
 一家、一族の墓も少子化で消滅の道をたどるのだろうか。継ぐ者がいないといった理由で代々の墓を取り壊す「墓じまい」が広がり、他人の遺骨と一緒の共同墓も注目を集めている。苫小牧市が高岡の霊園に設ける共同墓も予想を超える市民の関心の高さから、遺骨収容数を急きょ3000体から5000体へ拡大する計画に変更。それに伴って供用開始の時期を今年10月から来年4月に先延ばしした。
 ニーズの強さから小売業大手のイオンの葬儀関連会社も今月、道内で初めて、苫小牧の寺院と連携した合葬の永代供養墓サービスを始めた。連綿と続いた人と寺、墓のつながりの習慣も消してしまう、現代社会の問題の根深さに驚く。
 「将来、どうしようか」墓の後継ぎがいないわが家でも、最近、妻とそんな会話が増えてきた。(下)
 
 

読売新聞北海道歌壇 大朝暁子選で一首

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月17日(金)02時00分46秒
編集済
  十五日読売新聞北海道歌壇に大朝暁子選で一首掲載。

・頑迷に医者を拒みし父親は六十二歳に逝きたる雪の日  石塚 邦男
 

安倍晋三総理はトランプ大統領とゴルフ会議・・・変なお荷物背負ってこなければいいが・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月10日(金)05時58分35秒
  ・安倍総理が渡米した・・・。トランプ新大統領とゴルフをしながら友情を育むというが、日本国民は、変なお荷物押し付けられないかと心配している。

・一見、西部劇の悪漢みたいな大ぼらを語るトランプの個性だが、ちょっとたりないアメリカ人の典型みたいな男のように見えるが、腹黒い不動産屋だから、坊ちゃん育ちの安倍総理を不安視する日本国民の心配も当然だろう。無事に帰ってくればいいが・・・。
 

新道展の吉田隆一画伯からお手紙

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月 9日(木)15時59分41秒
編集済
  吉田隆一さんは新北海道美術協会の創設当時からの会員で、同展の発展に貢献してきた重鎮であるが、私が新聞記者であった四十年前からのお付き合いをしてきた画伯。飲みながら芸術論を語り合った旧友でもあり、現在も時折電話しあっている仲。彼は若い頃新聞記者をしていたことがあり、その後教師になって定年を迎えた後は、画業に専念する傍ら、地元の経済雑誌に長く歴史ものを連載していた個性的な書き手でもある。その吉田さんから、このほどお手紙が届いたので紹介したい。私のことを少々持ち上げてお書きになっているところは面はゆくて恥ずかしいが、彼との心の交流が絶えない手紙をうれしく拝読させていただいたことに感謝しつつ以下に原文のまま掲載させていただいた。

・何気なく北海道新聞の文芸欄をみた。

  落陽は高圧線に傾きてぬまのはたなる駅舎を照らす

・この句を読んだ時、様々な人に対しての挽歌を感じた。
 落陽とは残されたささやかな光であり、その光も高圧線という鋭い遮蔽物に遮られているが、わずかであるが照らしてくれている。照らされているのは己なのである。残念ながらそのわずかな脚光を自覚していない作家、画家が多い。

・「ぬまのはた」という名の駅舎は、どこにでもある役目を終えた場所であり、人間でもあるのだ。あえて地名を固有にしないところにこの句の作者の意図が感じられる。
 この頃貴兄に創作に対しての才能と情熱を再評価している。「札幌文学」を見たが、これが北海道を代表する同人誌であったのかと、その薄さに驚いた。内容はともかく文字をつつ‘ることに対して、執着心がないことを知らされた。

・絵画や文学を志す人間はどこの土地にも多くいたはずだ。だが文字をつつ‘って表現する、まともな人は少なくなった。文字をつつるより、言葉が優先する世になったと言えなくはない。もともとそういう情熱と才能を持っていた人は少なかったのだ。ただ北海道弁でいう「いいふりこき」がいただけで、文学を語ると頭が良いと思われたから存在したのだ。

・だが貴兄は数少ない本物の「文学の巨人」だ。創作、ノンフィクション、評論、短歌、詩、俳句と多種に取り組んでいて持続している。そういう人は私の知る限り少ない。(以下一部省略)

・話は変わるが、石塚さんの民報での功績はいつも聞く。あの時の掲載記事で育てられたことが、絵描きとして大成した原動力になったという。佐藤フサ子さん(全道展会員・故人)、金内敬子さん(新道展会員・故人)らはいつも私に語っていたが、貴兄の世話になった多くの人達はすでにない。あのプライドの高い星野恒隆さん(苫小牧美術協会会長)でさえ、石塚さんの居た時の民報は美術活動を支えていたと評価していた。

・「いぶり文芸」には「噴火湾と円空」という題材で五十枚程度まとめたいが、本当はもっと枚数が必要だ。詳しい募集内容が決まったら知らせてください。この頃の私を関係者は、狂い咲きに近い評価をしてくれているが、それも貴兄の生きざまに影響されて表現活動していることを申しそえたい。

              新道展会員・作家 吉田隆一(苫小牧市澄川町6丁目1-15)
 
 

(無題)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 2月 7日(火)22時26分8秒
編集済
  ・裏切りを疑ひてのち言の葉のすべて髑髏の形を持てり
・認めよと迫る哀しみ薄まらずいつしか眠りに誘ひ行けり
・あの時は熱に浮かされ哀しみの淵に溺れる夢の内外

・ハグをして別れのときの約束をプラットホームに確かめてゐつ
・仔細なき別れのふりをしてみせる何処の海に行きて眠らん
・行き戻り背中合はせに哀しみの降り注ぎくる霰のやうに

・別れ来て振り返らずに歩み行く車一台通り過ぎたり
・青年は前のめりに生き急ぐ傷なべて癒ゆることなく胸に積りぬ
・あふぎみる月の影さへ久しくもお目にかからず冬至を過ぎぬ
 

死骨湖(支笏湖)の魔王「赤毛羆」の物語・・・イメージは膨らんで乗っている( ^ω^)・・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月31日(火)05時55分28秒
編集済
  ・支笏湖はかつて「死骨湖」と表記されていた時代があった。五万年前、地底の溶岩が噴出したあげく空洞になった地下へ陥没してできたカルデラ陥没湖が支笏湖。それで、地上の樹林が湖底に残って、上から見ると湖の底に樹林の残骸が見える。それがまるで恐竜の骨のようで、「死骨湖」という言い方のほうがふさわしい様相だが、江戸期のこの表記は不吉だとして「支笏湖」が当てられるようになった。この支笏湖、死骨湖の表記は、アイヌ語呼びの当て字なのだが、本編小説では、「死骨湖」のイメージで書き進んでいる。現在230枚まで書き進み、興が乗ってどんどんイメージはふくらんで行くのは久しぶりのことだ。

・時代考証と歴史上の人物、実在した人物の裏取りに時間がかかってますが、調査や調べものもまた楽しからずや・・・です。
 

読売新聞北海道短歌欄の選者・村田宏選者が昨年末急死・・哀悼を表します

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月24日(火)02時43分17秒
  ・読売新聞北海道短歌欄の選者であった村田宏さんが昨年末亡くなった。私が年間最優秀作品投稿者に取り上げてくださったあとだけに切ない急の別れでしたので驚いてます。ご冥福をお祈り申しあげます。  

土曜日に旭川で「ときわ短歌」の新年詠草会に出席 バカでかい駅舎は無用の長物だ

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月24日(火)02時26分38秒
編集済
  ・旭川駅は立派だが年寄りには使いずらい駅だ。なにせだだっ広くて難儀する。
列車を降りてから駅の外へ出るまでどのくらい歩かなければならないのか、それからタクシー乗り場までまた相当あるかなくてはならない。自動歩行道路でも設置しなくては、年配者泣かせだ。それにあの広さたるや、百万都市の駅舎規模だ。なんであんなどでかい駅を造ったのか、計画者の意図が理解できない。列車を降りてからタクシー乗り場まで四、五百メートルはあるか・・・。足の弱い年配者には不親切きわまる無用の長物だ。大体が人影もまばらな駅機能なのに、まるで機械据え付け前の無人の工場内部のようなガランドウ。過疎都市なのにバカなものを造ったものだ。

・翻ってわが町の苫小牧駅は貧弱だが、利用者相応の規模だろう。新駅舎を造るときは、利用者相応のほどほどのものを造ってほしい。間違っても立派すぎる使い辛いものを造らないことだろう。
 

苫小牧民報のエッセイ欄「ゆのみ」の執筆者 中野裕隆はいい書き手 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月19日(木)03時27分23秒
編集済
  ・苫小牧民報に「ゆのみ」という原稿用紙一枚半ほどのエッセイ欄がある。
 この欄を設けたのは私であった。というよりも、入社して二年ほど経った
 ばかりの新米社員が、整理部長と二人でデスクをしながら一日置きに書き
 始めたのが最初であった。学生時代から時折、文芸時評や美術批評の文章
 を文芸欄に載せてもらっていたので、その筆筋が編集長の炭谷肇さんに認
 めてもらっていたため破格に許された特例であった。

 後に、この欄は地域の優れた書き手に週一で担当させるように移行して今
 日を迎えているのだが、私が担当していたときは、優れた書き手でないと
 採用しなかった。ところが、私が社を辞めてからは、担当者の目がないた
 めか、肩書で担当させるようになり、最近ではつまらない書き手が続いて、
 評判が悪い。つまり、人選が才筆中心ではなく肩書で人選しているため
  読めるしろものではないものになってきている。

・エッセイは知性と文体がマッチした書き手でないと、とても読めるもので
 はない。ところが、二十年ぶりに良い書き手が出現した。企画担当者に眼
 力があったのではなく、たまたま良い書き手だったということだろう。そ
 れは、外の書き手はどうにもならないのに、中野裕隆という前苫小牧副市
 長だけが才筆であることからも内情がわかる。担当記者がセンスがあって
 才筆を見抜く眼力がなければ、良い書き手を発掘できないものだ。

・「苫小牧民報」しっかりしてくれよ。記者の書く毎日の時評欄で良いのは
 「水」というイニシャルで書いている記者だけで、あとは残念ながら悲し
 いことに・・・だ。いい人材がいないのだろう。というよりも、社員を採用
 するときの眼力がなくなったのだろう。
 
 

北海道新聞短歌欄 時田則雄選に一首

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 1月16日(月)02時33分19秒
編集済
  ・北海道新聞短歌欄 時田則雄選に一首入選

 ・落陽は高圧線に傾きてぬまのはたなる駅舎を照らす  石塚 邦男

・新聞短歌を今さらとも思うが、これは不特定多数の友人、知人たちへの伝言として書いているもの。
 「ああ、元気だな、と思ってくれればいい。この齢になると、長々と細目に手紙を書けないもの。
 一首の伝言でことすむとは思わないが、こころにそこはかとなく伝わるものであってほしいのだ。

・二十二日の日曜日に、苫小牧市民文芸の合評会があるが、前日の土曜日には
 旭川で「ときわ短歌」の新年会があるので、一泊して帰ってもぎりぎりの時間。
 そこで、失礼することにもなりかねない。困っています。

・市民文芸への注文や厳しいこと色々この欄で書き込んだので、皆様の意見も
 謙虚にお聴きしたいのですが・・間に合うかどうか・・・。
 
 

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