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= 紹介 =
クリスティアン・シュレ−ダ−の詩集『みんなばらばら ― 転換の本 ― 』
について
― ドイツ「統一」とある無名詩人 ―
並木 武
本稿は、詩集 "alle sind alle. ein Wendebuch" von Christian Schroder/"Sieger lernen nicht. ein Wendebuch" von Ilja Seifert, Berlin 1992(クリスティアン・シュレ−ダ−『みんなばらばら ― 転換の本 ― 』/イリア・ザイフェルト『勝者は学ばない ― 転換の本 ― 』のうち、ザイフェルト氏のものは既に翻訳・紹介しているので1)、シュレ−ダ−氏の分を紹介しようとするものである。
そもそも50部限定出版のこの詩集は特異な体裁をとっている。本を手に取り表紙タイトルを見ると例えばシュレ−ダ−氏のものが印刷されているが、これを縦に裏返す(wenden)とザイフェルト氏のものが現れるのである。つまり、この本は表紙を含めお互いに反対側から始まっており、ペ−ジをめくると、常に、自分の分は片側・右のペ−ジで、左のペ−ジには相手の分が下から逆さまに印刷されている。従って、自分の最初のペ−ジは逆に印刷された相手の最後のペ−ジと向きあっていることになる。即ち、共通の副題("ein Wendebuch")は 本書の体裁にも掛けられているのである。もちろんこの副題は、1989年のベルリンの「壁」崩壊を頂点とする旧東ドイツの「転換」ないし「変革」(Wende) をテ−マとする詩を集めた本のことを本来的には意味していることは言うまでもない。
著者のシュレ−ダ−氏は1947年に旧東ベルリンで両親ともユダヤ人の子として生まれ、義務教育終了後直ちに主としてレストランなどサ−ビス業で長年働いたほか、新教教会の精神鑑定執事の職務に就いたり、建設労働者になったりした後、90年3月の旧東ドイツの人民議会選挙でザイフェルト氏が当選(10月の「統一」によりドイツ連邦議会議員に横滑り)してからは身障者で各種の障害者関係の団体や機関の役員でもあった同氏の介助者兼秘書をしていたが、94年10月の選挙でザイフェルト氏が落選したため、現在失業中である。詩作は70年代にも行っていたが、80年代、特にその後半になって意識的・精力的に行うようになり、それらの多くはサ−クル誌や週刊誌("Die Wochenpost")などに公表された。本の形で出版されたのは今回が初めてである。その間90年には、10月の「統一」をはさんでライプツィヒの「中央成人芸術学校」(Die Zentrale Volkskunstschule)の文学コ−スに学んでサ−クル指導者の資格を得ている。
本詩集は、「あとがき」の役割を果たしている最後のモノロ−グ形式の散文を含めて計34編よりなっている。内容的に歴史的・政治的な動きに合わせて次のように3段階に分けることが出来る。
1.「転換」前 86年から89年8月、旧東ドイツ市民の西側への大量逃亡がはじまるまで3年余の間に書かれたもの、20編。
2.「転換」期 89年9月頃より各地で民主化要求のデモがはじまり、同年11月「壁」が開放されるまでの約2月の間のもの、4編。
3.「転換」後 「壁」開放後92年までの2年余の作、10編。
「転換」期をどの時点で区切るか、特に「転換」の完結ないし終了を「壁」開放より後の90年3月のキリスト教民主同盟が大勝して統一への動きが一挙に加速されることになった人民議会選挙とするか、あるいは同年7月の「通貨統合」ないしは10月の「統一」とするか議論のあるところであろうが、ここでは、「壁」開放・崩壊とともに旧東ドイツの西ドイツ化がはじまり、資本主義的市場経済の波が一挙に押し寄せ、東西対等の漸進的統一を求める声を飲み込み、西ドイツによる東ドイツの「併合」が法制上の「統一」即ち東ドイツのドイツ連邦共和国(西ドイツ)への「加入」に先立ち実態的に起こったことからして、この「壁」開放を、89年の旧東ドイツの民主化運動としての「転換」の終了時点としておく。もちろんこの民主化・「転換」はあくまでも部分的・限定的なもので、一般的な意味でのドイツにおける転換・変革は現在も進行中であることは言うまでもない。
1.「転換」の前
全34編のうち20編とこの期の作が圧倒的に多数である。このことは、期間が3年余と他の二つの期間より比較的長く、かつ、さまざまな制約があったとはいえ、生活も相対的に安定していた時期であることなどと関係があると考えてもよいであろうが、むしろ、著者の問題意識の反映ないし著者の出版の意図の現れと見るべきであろう。即ち、意識するとしないとにかかわらず著者にとって今回の「転換」は旧東ドイツの現実からしていわば歴史的必然のものだったのである。
以下成立順(所収順)に簡単な検討を加えながら各詩を紹介してみよう。
夢は
朝と共に
消え去ってしまう
とは限らない
失われることは
ない
どこにも失われはしない
いつも
生まれるやいなや
無限を
求めて
さまよう (86年)
冒頭の詩である。ここには、著者の創作ひいては生活そのものについての基本姿勢が伺われる。「夢は、生まれた限り消えることはないだろうが、それを大切にしていこう」。「夢」は「理念」と読み替えることが出来るだろう。
尚、この詩集の原詩はすべて自由律無韻でかつ小文字で書かれており、またタイトル(1編を除く)も句読点もなく、優しく温和な雰囲気を多分に醸し出すのに与っているように思われる。
もう三回も
雄鶏が時をつげた
この
疎外された国で
もう三回も
亡命の約束を
忘れた (86年)
ユダヤの民は「聖書」時代以来幾多の流浪・亡国の辛酸を嘗めて来た。ナチスドイツによる迫害も記憶に新しい。今の自分も亡命の身なのだろうか。ユダヤを出自とする著者は、ナチスや人種差別の問題は基本的に克服されていることになっていた東ドイツの現実に危惧と不満そして疎外感を懐かざるをえない。政府の出国に対する厳しい規制も暗示していると思われる。
なぜ
この時期にもう
燕は
飛び立ちのために
集まっているのだろうか
なぜ
この時期にもう
木の葉は
秋の赤に染まっているのか
野の叢林から
別れの舌を
ちょろちょろ
させているのか (86年)
ペレストイカをひっさげてゴルバチョフが登場してから東ドイツにおいても民主化への要求と期待が徐々に高まり、各地で自然発生的なデモが行われるようになった。「なぜ」かはもうわかっている。早過ぎたことはたしかだが、「転換」の予徴だったのだ。
止まれ!
廃墟は
破壊しつくされてしまったわけではない
まだひとりのヴァイオリン弾きが
崩れかかった
屋根の下に
座り
残った最後の弦で
想いをこめて
弾いている
廃墟は破壊しつくされてしまったわけではない (86年)
最初と最後の行が大文字になっている。戦前ユダヤ人が多く住んでいたベルリンのオラ−ニエンブルク通り周辺をはじめ東の街角のいたるところに戦争の被害を受けた建物が荒れるにまかせて沢山残っている。建て替えは遅々として進まない。なかでもユダヤ教のシナゴ−グの修復は遅れに遅れている(「統一」後にやっと完成)。荒れ果てて危険なため「立入禁止」の標識が出ているが、全くの廃墟なのではない、荒廃は「止め」なければならない。
人間は
人間では
ないのだから
自由には
なれないだろう
悲惨に
門を開き
困窮を
親切に
招き入れる
人間は
人間では
ないのだから
絶えず自分を
否定する -
そして泣く
世界が
存在し続けて
いるので (86年)
平凡な人間ないし大衆のひとの良さ、なかんずく東ドイツのそれを反語的に風刺している。救いがたいまでの善良さひいては受動性・無気力さに、それは自分にもある、いらだちを覚えずにはいられない。
その老人は
ロ−マで
ひとり
諸国民に
祝福を与え
神が平和を
もたらすようにと
祈る
ほら
「汝ラニ平和ヲ」
武器は沈黙する
その見せ物に
何百万もの民衆が
敬意を表する
それから
出陣するだろう
下種野郎 どこだ (86年)
ロ−マ法王は新年のほか世界各地を訪れて大規模な平和祈念のミサを行い、民衆はそれに応えて熱狂する。今にも世界の平和が実現するような錯覚に陥りかねない。だか、現実には世界各地に戦火は絶えない。「汝ラ・・・」の行と最終行をともに大文字にし、「パックス ヴォビスクム」と発音する前者のラテン語の祈りの常套句に、「パック ヴォ−ビスト ドゥ−」とほぼ同音の後者を被せていることから、法王のこの大がかりな世界行脚の幻想性を風刺しているものと思われる。
あそこの
橋の
下には
向こうから
見ると
あたり一面
新しい橋の
放置された足場が
突っ立ったままだ (87年)
「転換」期によく耳にした「官僚主義」、「無責任体制」、「非能率」といった旧東ドイツの状態を批判するこのような言葉も、「転換」前から巷間ではもちろん囁かれていた。
手で
掴んで
砂時計の
粒を
数え
はかなさと
顔の
塩を
知れ (87年)
現実をなかなか変えることの出来ないもどかしさと「歳月人を待たず」との警告・自戒を簡潔に表現している。「顔の塩」は俗語で「悲しみ」の意。
きみは
マッチで
火をつけた
楽しげな
ロウソクの
光りのなかで
きっと
幸せだったんだ
それから
出掛けた
ロウソクのことも
マッチのことも
忘れて
今 家が
燃えている (87年)
帰宅してみると幸せに暮らしていた妻(又は夫)はいない、どうやら自分のもとを去ったようだ。落胆して街をさまよっているうちに家が焼けてしまった。これも、限られた小さな幸せに要求を退嬰化させて満足ないし諦めていることに対する警告・自戒である。
八月が
弔いの月と
なった
太陽も
黒色の衣を
すっぽり被り
他所に
輝く場所を
見つけた
黒色の烏
さえも
声を忍ばせる (87年)
八月は休暇の季節。思いきり夏の陽を浴びたい。だが、あの日を思い出すと暗澹たる気持ちにならざるをえない。あの忌まわしい「壁」構築の日だ。ヒロシマ・ナガサキの日も8月だ。
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